■上市町城ヶ平山(茗荷谷山城)
富山コンベンションビューロー「夢大陸」2005.4月号掲載文より
私は、上市町の山間部に住んでいる。そうめんで有名な大岩山日石寺から2キロメートル程山に入った下浅生(しもあそう)集落である。我が家の標高はちょうど300メートル。平野部より2〜3度気温が低い。下浅生集落は現在3軒。我が家は息子3人を含めて8人家族。お隣はおばあちゃんのひとり暮らしが2軒である。
さて、私は、山について執筆するような経験を持ち合わせておらず、山好きの読者のみなさんには甚だ失礼かと存じますが、先祖代々山に住んでいる者として、地元の山をご紹介してみたい。今回ご紹介するのは「城ヶ平山」である。城ヶ平山へは大岩からの登山口と浅生からの登山口がある。標高は446.3メートルである。鎌倉〜南北朝〜室町〜戦国時代の中世には、茗荷谷山城が築かれていた。これは、相模出身で鎌倉期に越中に入国し、越中東部の有力国侍として成長した土肥氏の城である。土肥氏は現在の上市町を支配地域の中心とし、茗荷谷山城のほか、弓庄城や柿沢城、種地域では稲村城や千石山城を築いた。茗荷谷山城は、土肥氏の城としては千石山城についで二番目に高い標高にあるが、魚津の松倉城も見渡せるなど弓庄城の詰城として大きな役割を果たしていたものと思われる。城ヶ平山山頂は南北に細長い。東側と西側が切り立ち、敵の侵入を防いでいる。南北は尾根筋となっており、それに沿って郭が山頂部の主郭も含め10もあり、多数の堀切など長さにして1.2キロにも及ぶ守りが施されている。
山頂に立つとき、私は古人の思いを感じ、深い時間の流れを感じる。戦(いくさ)という世の中の流れの中で否応なく築いたものかもしれないが、古人の自然を知り関わる力には感服させられる。山頂からは、現在は放棄されているが、対岸の浅生地区の山頂近くに長年耕作されてきた田んぼを見ることができる。山頂付近ゆえ、水の確保は用水に頼っている。その用水はといえば、はるか釜池に源を有する浅生川から採水し、山肌を延々と用水にて水を引いてきたものである。落差が少なくいかに長い用水を施工するか、土木技術もさることながら、古人の測量技術などの高度さにも感心させられる。
現在、山頂からは、360度のパノラマが広がっている。中世には城として絶好のロケーションであったが、上市ライオンズクラブなどの協力により登山道も整備され、現代人の私たちにとっては見晴らしの良い絶好のハイキングスポットとなっている。山の方を見渡せば、剱岳をはじめ、大日連山、毛勝三山を望むことができる。また、富山平野を見渡せば、遠く能登半島の先端まで見渡すことができる。
あそあそ自然学校でも毎年城ヶ平山へのウオーキングツアーを行っている。今年は、4月30日に、元富山大学教授の小島覚先生とその教え子さんたちと一緒に訪ねたいと思っている。一般参加も大歓迎なのでもしご希望があれば谷口(076−472−4410)までご連絡ください。参加費は上市駅から種までの片道交通費として1000円です。また、ホームページでも詳しく紹介していますので、ご覧いただければ幸甚です。
あそあそ自然学校のホームページ
http://www.asoaso.jp/
交通案内
大岩登山口は富山地方鉄道上市駅より約6キロメートル、大岩バス停すぐ横。また、浅生登山口は、大岩バス停から約2キロメートル奥の中浅生地区です。
あそあそ自然学校