社会教育 2004−4(通巻694号)掲載分,初期提出原稿

自然学校の持つ教育力と福祉力  〜自然学校の何が子どもたちを育てるのか〜

あそあそ自然学校代表
谷口新一


●はじめに
自然の持つ教育力から「大自然が最大の学校である」ともいわれるが、本誌二〇〇三−一一月号「学校教育でできる農山漁村の体験活動」において「今一度、なぜ農業体験が必要か、学校側も受け入れ側も考え直すことも必要だろう」という指摘にもあるように、なぜ農業や自然が子どもにとっていいのか、クリアになっていない面もある。また、平成一〇年度に当時の文部省が実施した「子どもの体験活動等に関するアンケート調査」において、「自然体験が豊富な子どもほど道徳観や正義感が強い」という調査結果となっているが、これは単にクロス集計によりカイ二乗分析等において有意な関係があるということであり、道徳観や正義感を向上させるために自然体験が必要であるまたは推奨するというだけでは、子どもたちを当事者として捉えた場合には疑問のあるところである。自然体験が不足しているから必要という論拠では、大人側の思惑の働いた単なるパターナリズムに陥ってしまう可能性がある。 自然体験がなぜいいのかを当事者である子どもたちという視座から考えてみたい。

●あそあそ自然学校とは
あそあそ自然学校は、富山県上市町下浅生地区で、農生活空間を遊びと学びの場とする自然体験を行っている。下浅生地区は、富山市中心部から約三〇km、周囲を山に囲まれた標高三〇〇メートルの集落で、長らく農業と林業で生計を立ててきたが、現在では我が家を含め四軒だけが生活している。我が家は、五歳三歳一歳という三人の子どもを含む八人家族であるが、他の三軒は高齢の女性が一人暮らしである。水道もない、携帯も通じない、廃村危機の集落である。

●自然学校の三つの力
あそあそ自然学校は“自然体験”を具体的プログラムとしているわけであるが、農生活空間の持つ教育力・福祉力の活用が特徴となっている。農生活空間という概念の中には、“社会体験”と“ものづくり体験”という意味が込められている。
一、自然体験
自然体験では、子どもたちは自然のリアリティに触れることができる。あそあそ自然学校の竹プランターづくりでは、実際に裏山の竹林へ行って竹の切り出しから始める。竹がどんな環境で育っているか、どんな葉っぱかなど五感で体験できる。自然そして自然の摂理には嘘がない。嘘がない絶対的な真理に触れることで、何の条件もつけず自分の存在がかけがえのない大切な存在であるという“自己肯定感”も育まれるし、考える力の基層となりうる。自然は時として人間の生命を脅かすほど猛威を振るうことがあるが、脅威に触れることで畏敬の心が育まれ、決して強制ではない人間的な謙虚さが育つ。謙虚さは成長の糧であり、物事を見つめ見極める力の源となる。また、自然は時には退屈である。何もない退屈な時間は苦痛であるが、自然の中の退屈な時間はそれだけでも人間的な時間である。さらに自然の中の退屈さは、子ども自身が主体的に遊びはじめるきっかけにもなる。 “納得”ということがなければ、人の思考は停止してしまう。納得が創造の必要条件とすれば、自然の摂理ほど納得できるものはない。自然体験は、自然の摂理による納得→考えるというプロセスを通して、子どもたちの主体性を育てる。
二、社会体験
あそあそ自然学校のスクール終了後、保育所から中学生まで異学年の子どもたちが何時間も時間を忘れかくれんぼをしたりしている。そのかくれんぼには、時にはプレイリーダーのボランティア大学生が加わっているが、大学生は監視役というより子どもたちに慕われ誘われて一緒にピアサポート的に遊んでいる。異学年の交流は、高学年の子どもにとっては低学年を思いやる気持ちが育ち“自己有用感”が育まれるし、低学年の子どもにとっては高学年の子どもたちを見て、自己決定の当事者となる貴重なチャンスとなっている。また、地元の高齢者から伝承遊びを教えてもらったりしている。地域の文化を伝える場に居合わせるという機会になっているが、引継ぎ、引き継がれるという時間は、さりげなく自己有用感が育まれる場となっている。
三、ものづくり体験
あそあそ自然学校のものづくり体験は、農作業の“育てる体験”と道具を使う“作る体験”がある。農業はやっただけリターンのある仕事である。お天道さまにもよるが、さぼれば減るし、頑張れば増える。子どもにとって農業は、シビアだけれども“当たり前”、嘘をつかない安心感のある相手である。自然の中では、“インチキ”はインチキとして顕在化する。自然の中の当たり前に触れることが道徳観や正義感の源となっているのではないだろうか。また、育てるという行為は、必然的に長期的な視野を育てる。田んぼに石がないのは、少しでもよい田んぼにしようと先祖代々石を少しずつ取り除いてきたからであり、今さえよければという目先の短期的な思考ではなく長期的で持続可能的な考え方を育てるのが農作業体験である。 作る体験では道具を使う。竹プランターづくりでは鋸を使う。道具を使うということはそれ自体の体験知に止まらず、「自分でできた!」という成功体験や達成感がある。「できる」という達成感の積み重ねが自信につながる。自信は自己有用感を育む。自己有用感があってはじめて主体性や能動性が生まれるのであり、主体的に行動することで学びがいや遊びがいという充実感となる。充実感は新たな主体性を生み、好循環のスパイラルとなっていく。 農生活空間におけるものづくりは、育てる体験においても作る体験においても、学ぶと働く(生きる)が遊離せず関連づけられている。何のために今この作業をしているのかが理解できれば、自ずと自分の価値を高めるために学びはじめる。農業では家族で一緒に労働するという機会もあるが、目的がはっきりと認識できることで、強制ではない主体的な協力体験となり、協力関係の中で自分の存在の確かさを認識する体験となる。生きる安定感のためには、地域や家族の世代循環の中に自分の存在意義を見出せるかどうかということが大きい。農生活空間でのものづくり体験は、無条件にあなたは大切な存在だよという自己肯定感をベースとしつつも、役立っているという自己有用感を育む。

●自然学校と児童福祉
「子どもの権利条約」が一九八九年に国連で採択され、日本は一九九四年に批准した。わが国の児童福祉法において、乳児院、児童自立支援施設(旧教護院)、児童養護施設など、社会的措置は整備されているところであるが、「子どもの権利条約は大人と子どもが道理にしたがって、正しいつきあいの仕方を求めて行動しようという申し合わせ」という指摘がなされている(※)。子どもを大人社会の価値観や法的措置に画一的に当てはめるのではなく、子どもの個性や当たり前、選択を認めていくことに本旨がある。子どもをめぐる様々な事件があり、上市町でも未成年者による暴行殺人事件を契機にPTAなどによる夜間パトロールが実施されているが、大人の力や論理で抑えることには限界があるし効果は限定的である。そもそもパトロールという行為は「正しいつきあいの仕方」を大人側が放棄してしまっている状態になる恐れもある。 子どもは“逸脱のエネルギー”を本来持っている。逸脱を認めることが子どもを認めることにつながる。子どもは、逸脱という“自分らしさ”を認められることで初めて、親や大人や地域社会とコミュニケーションを成立させ、社会性を自ら発見していく。コミュニケーションでしか社会性を身につけられない。子どもに社会性を身につけてほしいとすれば、いかにコミュニケーションを成立させるかを真摯に謙虚に考えることが必要である。コミュニケーションとは対等なものである。対等性を持つために重要なことは、子どもの権利を学ぶことである。また、“非行”は“抑止”によって起こるケースが多い。抑止は、親や教師が子どもの権利を理解していないから起こるケースが多い。非行防止のためには、親や教師が子どもの権利を理解することが必要である。 あそあそ自然学校は、農業という生産活動の一方で、非生産的とも思われる自然の中での逸脱を大いに歓迎している。逸脱は自己決定である。自己決定は子どもの感性を高める。逸脱は社会性を身につける子どもの成長過程として重要であるが、自分の逸脱に間違いがあればそれを教えてくれる絶対的なものも一方では必要である。自然には摂理があり、正しさがある。自然は、逸脱する場としては最高の場である。非行や不登校ひきこもりなど、社会に不信感を持つ子どもも含め、どんな子どもにとってもそれぞれのユニークで多元的な逸脱を許容し、逸脱後の新たな示唆を与えてくれるのが自然の正しさであると思う。

●まとめ
自然体験が子どもにいいのは、何者にも左右されない自然の持つ絶対的な摂理(正しさ)に触れることによると考える。正しさということが、考える力という前向きな力を育むためにも重要であるし、また、子どもの人権にかかわるような追いつめられたいわば後ろ向きなケースにおいても、自然の正しさから育まれた自己肯定感や自己有用感という体験知があれば、いざという時に生きる力を発揮することが期待できる。 また、自然学校では、自然体験自体の他に、社会体験やものづくり体験が副次的に備わっていることが相乗効果となって、全人的な教育力・福祉力となっているのではないだろうか。

参考文献
「生活体験・自然体験が日本の子どもの心を育む〜答申〜」生涯学習審議会、1999.6
「総合的な学習で特色ある学校をつくる」今谷順重、ミネルウ゛ァ書房、1998.8
「やさしい子どもは自然が育てる」森田勇造、悠飛社、2001.6
引用文献
※「子どもの権利条約を読み解く」大田尭、岩波書店、1997.7、p11

あそあそ自然学校・ホームページ
http://www.exe.ne.jp/~npp/asoaso/

【プロフィール】
谷口新一(たにぐちしんいち)
1965年富山県生まれ。
1987年東京大学経済学部卒業。
1987年北陸電力株式会社入社。


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